修道で出会うて70年
― 中二の逝友と69年 ―
高校2回 永谷道孝
毎年8月6日、高校2回卒は母校に参集して、旧正門横にある慰霊碑に参拝し、逝友の名前を指でなぞりながら追憶冥福を祈る。そして戦争と平和を問う。
1944年(昭和19年)、修道中学入学、ようやく中学生活に馴れ、生涯の友も得た2年生の頃から、学徒動員令により、上級生は順次、兵器工場に出動し、学校にはわれわれ2年生と1年生だけになった。
8月6日、市役所東側、旧雑魚場町での建物疎開作業中、一発の原爆により、阿鼻叫喚、火の中を逃げまわり、同級生の大半136名は無惨にも焼き殺された。学校は校舎倒壊、修道は消えた。
あの日から69年、われわれは、死を見つめ、命を思い、生き残った後ろめたさの深い思いを胸に「激動の昭和」を生きた。
2014年(平成26年)、修道で出会って70年、齢83才の今、不思議なことに、時所を問わず、突然に当時の中学時代の童顔と1年4ヶ月の思い出が鮮明に脳裡に浮かぶことが多い。恋もせず、結婚も出来ず、子供も育てず、そして孫も抱けずにわずか13才青春の入口で早く逝った君たちと苦難の人生を共に生きたかった。噫々無情悲哀なる哉。
君に会おうと修道にいったのではない。修道にいったら素晴らしい君に会えた。終生敬愛する恩師、先輩、後輩にも会えた。人生、出会いの不思議さ、面白さ、ありがたさを噛みしめながら「修道のご縁」を心から深かく味合う。
ありがとう修道、感謝 感謝。
参照 中吉啓治氏(旧中33回卒)に聴く戦後修道復興の礎
修道学園史研究会 畠 眞實氏(高校7回)編
8月6日の修2会の集まり
高校2回 西田頼信
修2会(昭和20年に旧制中学2年・修道高校2回卒)は、毎年8月6日(9時~11時)に原爆慰霊碑の裏に刻まれた同級生136名の名前を手でなぞりながら、悔しさと懐かしさをこめて互いの近況などを語り合い、事務局からの好意のお茶とお菓子をいただきながら喪に服しています。
今年は、遠方からは姫路から高祖君、岡山から細川君、山口から折出君の3氏がみえた。