―――『大浮世絵展』を鑑賞する山口市への旅―――
プチ修学旅行実行委員会
このようなインターネット通信が広く、且つ、多く修道の同窓生の皆様に読まれているとは夢にも思っておりません。多くの同窓生の皆様は年齢的に判断しても、まだまだパソコンには馴染みの無い方々が大半であると推測いたしております。年2回の同窓会通信の冊子の発行では、既に発行された時点で、記事の内容が陳腐化していることは明らかでありました。その点インターネット通信は現代の通信手段としては即時性があります。
同窓会ではこのような時代の流れを先取りして、早々にインターネット通信に切り替えて来られました。そのため、冊子での通信は年1回に削減されました。こうした流れは極自然の流れだったと思っております。かといって、冊子による通信を軽んじているわけでは決してありません。これはこれで必要不可欠な通信手段であると心底思っております。いかんせん、同窓会にインターネット通信が取り入れられて、わずか3年弱しか経っておりません。いまだに、インターネット通信は充分に活用されていないのが現状ではないかと推察いたしております。
インターネット上に多くの記事が寄せられるようになれば、私の記事のような雑文は自然に消滅していくことでありましょう。そのような時が訪れることを心待ちにいたしながら雑文の作成に励んでおります。
さて、それではその雑文の世界に入らせて頂きます。
2014年5月に3泊4日の北九州一周の旅を終えたばかりである。広島県立美術館でボランティア活動をしている中学時代の同級生が「あののー、5月の16日から7月13日まで山口県立美術館で『大浮世絵展』ゆうのがあるんじゃが、これから後、二度と見られん位の傑作を世界中から集めておるというんじゃ」と言ってその浮世絵展のチラシを持って私の前に現れた。私も浮世絵は決して嫌いではない。むしろ絵の展覧会といえば修学旅行のテーマとしては最もふさわしく、正しい選択である。直ぐに乗り気になった。友は更に調子に乗った。「この展覧会は日本では東京の『江戸東京博物館』と『名古屋市博物館』と『山口県立美術館』の3か所しかやらんのじゃ」と付け加えた。
早速、8人乗り『アルファード』の所有者である同級生に相談するとその話に飛びついた。
さて、この展覧会をインターネットで調べてみると、海外からは『ギメ東洋美術館』、『ベルリン国立アジア美術館』、『ホノルル美術館』、『大英博物館』の里帰り作品が潤沢に出品されている上に、日本からは『東京国立博物館』、『平木浮世絵財団』、『江戸東京博物館』、『千葉美術館』、『奈良県立美術館』、『日本浮世絵博物館』、『出光美術館』、『相撲博物館』、『神奈川県立歴史博物館』、『三井記念美術館』、『名古屋市博物館』、『根津美術館』、『メ~テレ(名古屋テレビ放送)』、『山口県立萩美術館』等から選び抜かれて出品されている上に、多くの個人蔵の逸品を加えて総展示作品数は439点という豪華絢爛な内容。
浮世絵作者やその作品群はと言うと国宝、重要文化財、重要美術品のオンパレード。
岩佐又兵衛、菱川師宣を始め、鈴木春信、鳥居清長、喜多川歌麿の『当世三美人』や『高嶌おひさ』、『難波屋おきた』等、東洲斎写楽の歌舞伎役者の『大首絵』、渓斎英泉の『浮世風俗美女競』、葛飾北斎の『富獄三十六景』の『凱風快晴』、『神奈川沖浪裏』、『山下白雨』等、歌川広重の『東海道五十三次』、歌川国芳の『水滸伝』や『里見八犬伝』の武者絵から『としよりのよふな若い人だ』と続き、明治大正期の月岡芳年の『田舎源氏』、河鍋暁斎、橋口五葉の『浴後の女』、伊東深水の『眉墨』、川瀬巴水の『平泉金色堂』等で絞めてあるという内容。
これは見逃すわけにはいかないとすぐさま準備に取り掛かった。
北九州の旅に参加した修学旅行生を優先して、直ぐに4人は決定した。つまり、元中電の常務、元丸紅の社員、元内装業社長と現役のカメラ屋の私の4人である。前回参加した2人が今回はリタイアしたので、2人追加することにして、厳しい適格者審査に移った。
提案者の中電の常務が「防府に寄るんなら、元防府マツダの工場長は欠かせんじゃろう」ということで、元工場長をお誘いすると「以前、お断りしたことがあるけえ、今回は参加させてもらおうか」ということで、早くも一人決定。あともう一人は静かな元大学教授にしようか?それとも賑やかな元出光の名古屋支店副支店長にしようか?と迷ったが、定年退職してから水彩画を始めた元出光の名『画伯』をお誘いしてみることにした。「日程さえ許すなら、参加してみようか」というご返事なので、6人の日程を調整して決行の日を2014年6月24日(火)に決定した。
広島県立美術館のボランティア要員は早速、『大浮世絵展』のポスターを持って来て、これを店頭に張ってくれたら2人分タダになると告げた。全員タダが大好きであるから、この話には直ぐに乗った。車の持ち主はすぐさま山口市の観光雑誌を購入してきて、グルメの探求にいそしんだ。遊ぶことに懸けては全員行動が実に速やかである。その結果、昼飯は山口市でB級グルメの『ばりそば』。夕方の宴会の部は帰路防府によって『鱧(はも)料理』と大筋は決定した。
朝8時30分に広島駅前を出発して、廿日市のJR阿品駅で元出光の社員を拾って、大野から山陽自動車道に乗った。午前11時に山口県立美術館横の広大な無料駐車場に到着した。その周りはいろんな施設が密集しているので、いかに広大な駐車場と言えども、既に満車であった。駐車場内を暫く徘徊して、漸く空きスペースを見つけて駐車した。そこから歩いて美術館に着いたのが午前11時20分。平日の火曜日というのに入り口には20人位の列ができている。なんと爺、婆の大安売りである。特に婆が長生きするので、圧倒的な大多数を占める。「平日から日本人がこのように遊んで暮らしていてはこの先日本の経済は到底保たない」と嘆かわしく感じて、ふと私の周りを眺めると何をか言わんや私達も揃いもそろって72歳の爺である。直ぐに「まあ、いいか!ここでは細かいことは詮索すまい」と言う平和な気持ちになる。爺、婆の人波が押し寄せていて、なかなか先に進めない上に、近寄って浮世絵を観賞することができない。この状態では我々もそれぞれが薀蓄を披露しながら、一緒に鑑賞するどころではない。ロビーで12時30分に落ち合うことにして、分裂行進に移った。幸い日本人の婆は背が低いので、婆の背中越しに蝶のように、移ろい、舞いながら鑑賞することにした。
浮世絵の展覧会は退色を防ぐために長期間の展示を避けると同時に、照明が極端に暗いのである。とは言え、こうして本物を目にすることが大切なのである。後は図書館で画集を借りてきて、解説を読みながらゆっくりと鑑賞したり、ほろ酔い加減で寝そべってテレビの絵画番組を見たりすればよいのである。
12時30分に全員がロビーに揃った。グルメ党党首が用意してきた地図を開いて、先頭に立って案内を始めた。どこまでも緑の多い駐車場を横に見ながら、小さな橋を渡った交差点の角に目的とする創業五十余年『元祖ばりそば本陣春来軒』があった。一切の無駄もなくエスコートしてくれるのであるから、ついて行く方は楽チンである。木漏れ陽の中をそぞろ歩くのも気の合う同級生同志、これほど愉しい散策は他に類を見ない。『創業五十余年』と言うのが曖昧で、少し怪しいがそれがB級グルメの真骨頂である。昼時ということもあり、22席くらいある店内は満員で、6人全員の席は取れないということで、隣の控室で待たされる羽目になった。暫くして、「3人掛けなら2テーブル取れます」という『ばりそば屋』のおばちゃんの誘導で席について、早速、ビールとノンアルコールで乾杯した。『ばりそば』は超硬メン、硬メン、普通メン、やわらかメンの4種類がある。おばちゃんが「どれにしますか?」と聞くので、一斉に「超硬メン!」と大合唱。
『ばりそば』とはパリパリに油で揚げた中華めんの上に、烏賊ゲソ、えのき茸、蒲鉾、白菜、もやし、ネギを混ぜた具に片栗粉でとろみをつけて、ちょいと酸味を加えた八宝菜風に調理した出汁をたっぷり垂らしたものと理解してもらえればよい。けだし、老人の胃には優しい料理である。惜しむらくは、豚の脂身のこま切れが目に飛び込んで来るくらいのサービスはして欲しい。
胃の腑が落ち着いたところで、瑠璃光寺の五重塔を見学に行くことにした。歩いて行ける距離かどうか?ばりそば屋のおばさんに聞くと「そんなに遠くはないですよ」と言ういい加減な返事である。観光案内地図で見ると老人が歩いて行く距離としてはかなり手強い。駐車場内に停めてある車を探して、歩くことにしたが、それぞれが勝手な方向に進路を執る。垣根を越し、石垣を上り、車の駐車してある場所に辿り着くと、それまでそれぞれが自分勝手な方向に分散して歩いていた同乗者が、不思議なことにほとんど同時に車の停めてある場所に辿り着くという芸当を見せるのである。瑠璃光寺に車を走らせる途中、一天俄かに掻き曇り、梅雨独特の驟雨が襲いかかってきた。「車で移動していてよかったのー」と一同胸を撫で下ろす。瑠璃光寺の駐車場に到着しても一向に雨は止みそうにない。20分位車中に閉じ込められる羽目になったが、この連中、ちっとも気にする様子は無い。雲の流れを睨みつけながら、楽しい雑談に耽っていた。
暫くしたら、雨は霧雨に変わり、やがて上がった。雨に濡れた、人影の絶えた新緑の中を国宝『瑠璃光寺五重
塔』に近づいて行った。この五重塔は室町時代の大内氏によって建立された日本三国宝のひとつで1442年に完成されたものである。雨上がりの新緑に浮かんだ五重塔は一層の光彩を放って実に見事な眺めと化していた。
隣接する『保寧山瑠璃光寺』にお参りした。一行童心に帰って、無心にお祈りをした後、今を盛りと咲き乱れるアジサイの華の美しい門前の『香山公園』を散策して、車を温泉郷『湯田の町』へ向けた。カーナビで探して着いた所は『天然温泉清水湯』であった。それぞれが手持ちのタオルを握って、男湯の暖簾を潜った。入浴料お一人様390円であり、当然シニア割引は無い。温泉に浸かって旅の疲れを癒すと俄然活力が湧いてきた。
いざ、進路を鱧の待っている防府に向け出発進行である。
と言っても、防府についた時刻というと、未だ太陽が中天に燦然と輝く昼の真っ盛りである。とてもじゃないが宴会の部に突入するには早過ぎる。
「防府と言えば、『防府天満宮』じゃろう」ということに衆議一決して、車を天満宮に向けた。平日ということもあり、別に受験時期でもないので、学問の神様も暇を持て余しているらしく、辺りは閑散としたものである。『防府天満宮』は流石にと言うか、辺りに鳴り響いた有名神社である。きらびやかで美しい。これで可愛い巫女さんでもチョイと出て来て、「あら、まあー、そこのお兄さん方、一緒にお茶でもしませんか?」と言う塩梅になれば、はるばる訪ねてきた甲斐があろうというものを・・・。キツネの一匹も現れやしない。浮いた話の一つもなく、ただひたすらに、今日もおいしいお酒が呑めるように、おいしい食事ができますようにと一心不乱にお祈りしている同級生の姿は端から見ていてもほほ笑ましい。長い石段の下の広場ではお土産屋の幼児が4人でボール遊びに興じている。成す術もなく、かといって、宴会の部には早過ぎるしということで、観光案内の地図を覗き込んでいたメンバーの一人が「東大寺別院『周防阿弥陀寺』別名『あじさい寺』にでも行ってみるか?」とつぶやいた。誰一人として反対する理由は無い。
「『あじさい寺』は鎌倉時代の1187年に建立された古いお寺で、境内には現在80種類、4000株のあじさいが咲き乱れている。6月の旬の季節には華やかな極楽浄土に誘い入れてくれます」と謳っているが、要らぬお世話である。まだまだ末永く愉しいプチ修学旅行を企画して行かねばならないのに、極楽浄土なんかに誘い込まれてはたまるものか。それにしてもここはあじさいの坂道が延々と続く、かなりハードなトレッキング・コースである。
最初、元丸紅さんがお山に迷い込んで這い出して来たかと思いきや、今度は出光さんが行方不明。こんな時の携帯電話と呼び出しをかけても、帰ってくるのは虚しいコール音だけ。結局、先に下山して、入口の石段に腰を下ろして、彼はひたすら我々を待っていたというお粗末の一件。「おおい、携帯が鳴ったじゃろう?」と問いかけると、平気な顔をして「携帯は車の中よ!」と言う返事。「それじゃ、駄目じゃん!」と一同苦笑して、会話は終了。料金所(入山料一人200円)の横の小川の岸には今を盛りと『あじさい祭り』と『鱧料理』の宣伝用の幟旗がはためいている。
鱧料理と言えば京都の夏の風物詩である。しかし京都の鱧は我々庶民の口に入るお値段ではない。しこうして、安く鱧を食すのは山口県周防に限るのである。ただし、周防では舞子を揚げて派手に遊ぶわけにはいかない。漸く待ちに待った宴会時間が到来。「鱧が我々を待っている!」と街中へと車を走らせた。
防府には『鱧料理店』が全部で10軒あるとインターネットで調べてある。「一番目、二番目の格式の高級料理店は我々のお口に合わない。一番ラストのランクでは我々のプライドが許さない。せめて最後から2番目か、3番目の格式の店に狙いを定めること」と全隊員によおく言い含めて探索に入った。元マツダの防府工場長は「確か、一人1万円は下らなかったと思う」と接待したにしろ、接待を受けたにしろ、経費で食した経験しかなさそうなので、我々の財布の中身ではお話にならない感じ。
結局、防府駅の観光案内所に斥候を走らすことにした。こういう仕事はプチ修学旅行の会計係で元中電の常務の持ち分である。元中電の常務を『使い走り』に使うくらいにこの会は格式が高いのである。防府駅の近くの最初の店の駐車場に車を横付けしたものの、その店は高級割烹料理屋風でお値段的にお口に合いそうにない。案の定、使い走りが「今日のところ、予約以外に6人分の鱧は賄い切れない」と断られて帰ってきた。「こっちこそ、願い下げである!」と明るく我々のお財布が納得。
2番目に探し当てた店は『割烹いちはな』という我々が目標としていた店に近似のたたずまい。早速使い走りを交渉にやると、敵は大歓迎のご様子。満を持してこの割烹店に繰り込んだ。初め座敷に案内されたが、我々はいささか老人の態である。お女中が「ちょっと、狭いですが?」とことわっておいてテーブル席に案内してくれた。「これでいいのだ!」。平日のまだちょっと明るいうち。客は我々一組だけ。おまけに割烹料亭も夏の閑散期ということで、鱧料理のフルコースが半額セール期間だという。「これはさんざ神社で賽銭を投入して祈祷した霊験がここで現れた」と諸人こぞりて欣喜雀躍。これで誰に遠慮することもなく、金銭の心配もすることなく鱧料理が賞味できる。
やがて、割烹料亭を貸し切っての大宴会が始まった。まずは、恒例によって、ビールとノンアルコールで乾杯。店は暇なもんであるから、サービスは抜群、愛想は良いし、すぐさま鱧の『湯吹き』が眼前に現れた。梅味に赤味噌味に白味噌味と三種類にレモンが添えてある。いずれも薄味で鱧の素の味を殺さず我々の上品な舌を考慮した味加減である。ここで、調子に乗って、地酒を所望することにした。調理場のカウンターの上には今を盛りと名の知れた銘酒(株)旭酒造の『獺祭(だっさい)』が辺りを睥睨して大中小と三本鎮座している。「あの小で一本いくらですか?」と上品に問いかけた。「はい、一本3000円です」と言う返事。「ううん、その値段はチョット我々のお口に合わないかも」と断念した。その代り、鱧に実によく合うという地酒『郷秀』という一本1500円の逸品を注文した。
次に出てきたのが鱧のシャブシャブ。奉書紙に出汁を満たし、固形燃料の小型コンロで温め、鱧の切り身を軽く出汁にくぐらしてお口に運ぶという趣向である。骨切りが充分にしてあるのでお口の中でとろける感触が堪らない。
3番目に出てきたのが鱧の天麩羅。お女中が「空揚げにいたしましょうか?それとも、天麩羅にいたしましょうか?」と問うと、一同「てんぷら!」と大合唱。実によく気が合うのである。調理場の横の水槽には見事な鱧と石鯛が食べられるとも知らないでゆったりと泳いでいる。
4番目に出てきたのは鱧寿司であった。鱧の照り焼きにたっぷりと上品なウナギのたれがかかっていて、これまた寿司屋ではついぞお目にかかれない逸品である。なんだか随分と贅沢な気分に浸ったところで、愈々、締めにと入ります。
締めはやっぱりフルーツとケーキである。6人はすべてを完食した。飲んで食って、一人前2780円の支払いとは格安である。なにしろ、夏のサービス期間ということで、鱧のフルコースが半額の1980円と言うのが利いている。
大満足して、夕なずむ高速道路をひた走って、広島に向かった。途中、下松のドライブインに寄って、会計さんが本日の総経費を算出した。高速料金が身体障害者割引の半額で2000円。ガソリン代が5100円。旅の記録記念写真代500円を加えてもお一人様総経費7000円也。あとはそれぞれが下松のドライブインで奥様のお口汚しを買い求めるだけであった。