修道中学6組会『第6回プチ修学旅行』を終えて その3

―58年前の北九州周遊の旅―

修学旅行実行委員会

 14日(水)朝8時半にホテルを出発し、『博多祇園山笠』が展示してある『櫛田神社』にお参りした。これで『博多どんたく』に行った気分を味わうことにした。
 私たちは一路佐賀県『呼子』(よぶこ)に車を飛ばした。呼子は壱岐水道に面した県境にある交通の便の良くない鄙びた漁村である。言わずと知れた今が旬の剣崎烏賊の刺身を食すためである。予報通り、昼前からしとしと雨が降り出した。雨の中を車窓より海を眺めながら、数多あるお食事処の中で厳選して『玄海活魚』というポピュラーな店を選んだ。昼食であるから運転手2人を除いて、ビールで乾杯し、剣崎烏賊の活造りを年甲斐もなく争って食した。なにしろ、剣崎烏賊の刺身は今回の旅の重要テーマの1つであったからだ。名にし負う美味である。落ちついたところで烏賊シュウマイが出てきて、締めで、食べ残した剣崎烏賊のゲソを天麩羅にしてもらって完食した。

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 雨が降り続く中を有田町に移動して、『佐賀県立九州陶磁文化館』の駐車場に車を滑り込ませた。この九州の陶磁器の展示館は、実に清潔な広々とした建物で、その収蔵品は眼を奪うばかりの逸品揃いである。見物人は極めて少なく、おまけに観覧料がタダ、駐車場もタダである。雨も降っていることではあるし、ここでは古伊万里や青磁や鍋島や柿右衛門手等の重要文化財級の展示品をゆっくり鑑賞できた。タダでは余りにも申し訳ないと1000円寄付することに衆議一決した。老いたりといえども、それなりに値打ちのあるものには出費を惜しまない我々学究である。えーと、ここでは一人頭約167円の出費であった。特に地下の一室を占める『柴田夫妻コレクション』はおよそ1000点が展示されていて正に圧巻であった。

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 夕方、長崎市に着く頃には雨も上がり、駅前をそぞろ歩いて居酒屋『魚店亜紗』にしけこんだ。やたらと単品を数多注文して、ビールで乾杯し、焼酎を頼んだ。ここでもたらふく飲んで、食って、お一人様3500円という勘定。後はホテルに帰って、乾き物を摘まみながら缶ビールと缶酎ハイを飲15DSC_0121.jpgみながら、テレビの野球観戦。
 九州3日目。5月15日(木)の朝、ホテルで長崎チャンポンカリカリ風にルーをたっぷりかけて、途中で野垂れ死しないようにカロリーを充分に補給した。旅を終えて後悔するのは目に見えていることであるが、行き着く先で食い意地に負け、こうして徐々に体重を増やしていく。
 今や街の中心街にある『出島』を車中より左手に眺めながら、『グラバー園』に向かった。 グラバー園の入り口には58年前に女学院の生徒と入り混じって写真に写っている『大浦天主堂』がある。さすがに女学院はクリスチャンの学校であるし、わが『修道』も全国に鳴り響いた似非(えせ)クリスチャンの学校であるから、ここで敬虔な祈りを捧げた覚えがあったような気がする。グラバー園の入場料金は障害者と付き添いのナースが半額。残りの老人4人は1人消費税込みで610円。広大な園内にはエスカレーター有り、動く歩道有りで、年寄でも充分見学できるように整備されている。グラバー邸を含む3邸の『重要文化財』だけではなく、総計10軒の江戸、明治時代の洋館を巡った後、最後には『長崎伝統芸能館』があって、重要無形文化財の『長崎くんち』の山車(だし)や『龍踊り』の白龍、青龍が展示されているというサービス精神の旺盛さ。長崎の年中行事もビデオで見ることもできるし、ぐるりとグラバー園を巡れば長崎観光のすべてが凝縮されているのである。石畳の坂を下って行くと、左側には長崎のお土産店がずらりと並んで、売り子が盛んに声をかけてくる。最後になって、これはちょっと興醒めといったところである。

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 長崎を後にすると、58年前のコースを辿って、諫早市を抜けて、小浜(オバマ)温泉に走った。ここからは雲仙に向けて、くねくね道の急坂を登って行かなければならない。
 漸く『雲仙天草国立公園』に辿り着くと、そこは昔の鄙びた木造旅館の温泉街は消えていて、ぐっとモダンなホテル街に変わっていた。
 噴煙たなびく『地獄谷』の入り口の駐車場に車を入れて、延々と続く地獄谷巡りを楽しむ。思い出すに、58年前、一人の悪童にそそのかされて、女学院の生徒の泊まっている旅館の裏山に藪をかき分けて登り、天にまします神の御導きにより、浴場を覗きに行った。しかし、天は心の赴くままに行動する我等純朴な修道生2人に味方することなく、およそ50人位の裸形の女子高校生を前にして、さんざ蚊に刺されながらも、むなしく退散いたした次第である。声はすれども、ガラスが湯気で曇っていて、何一つ見えなかったのである。
 ここを先途と過去の妄想はきっぱり切り捨てて、今を盛りと咲き誇る『みやまつつじ』の群落を鑑賞するために『仁田峠』に向かった。峠に着く頃には天候は快晴で、遠くの山並みに雨上がりの雲がたなびき、空は澄み切って、新緑が目を刺すように美しい。まるで、心を洗われるようである。しばし、『みやまつつじ』の回廊を幼児のように邪気を払って鑑賞した。
 雲仙を下ると島原の街に入る。丁度、昼飯時になったので、レストハウスに駐車して、島原名物の『具雑煮』というものを食すことに衆議一決した。『具雑煮』とは、からつの鍋に白菜、シイタケ、シメジ、タケノコ、蓮根等の野菜に小さく刻んだ海藻を加えて、それに餅を2つ落として、それを固形燃料で下からコトコトと煮込むといった勿体ぶった料理である。時間がかかる割には平凡な味の郷土料理である。この料理のみで島原を後にするのは忍び難く、『からすみ』を一人前注文して、一切れずつ食して、お口直しとする。

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22DSC_0185.jpg そのレストハウスの近くに『雲仙岳災害記念館』があるというので、まじめな修学旅行生である我々はこれも見学しておくことにした。二階近くまで火砕流で埋まった民家を災害時の状態のままドームの中に保存しているのである。
 島原から熊本行のフェリーに乗り込む前に、車中より島原城を見学することにした。小さなかわいいお城である。
 フェリーは1時間コースと30分コースがあるが、出航時間の関係から1時間コースを選ぶ。勿論、さして急ぐ旅でもなく、何より安くつくということが最大の魅力である。
 甲板のベンチで海風に当たりながら旅をするというのは、いかにも「旅をしている」という感じがして心23DSC_0187.jpg地よい。
 フェリーで熊本市のはずれの港に到着すると、熊本市の中心部に車を向けた。壮大な熊本城の天守閣を垣間見ながら、樹木の生い茂る城郭の周りを一周した。「これで熊本城は見たよのう!」と運転手が促すと、一同「充分堪能した!」と合唱。一躍、阿蘇へと進路を採った。