『松江・出雲』珍道中―修道12回プチ修学旅行―

 

 あまり出しゃばりすぎると嫌われる。そうは思いながら、修道学園同窓会のインターネットの書き込みがいまだちょっと淋しすぎると憂慮している。
 そのうち、あふれるばかりの情報がネット上をにぎわすだろうと、大いに期待はしている。有益な、人目を惹きつける素晴らしい原稿が陸続と集まるようになれば、私の暇つぶしのような記事は抹消されてしかるべき運命にあると考えている。
胡麻擂りか、成り行きかは知らねども、一応当局より「お願いします」と頼まれはしたが、投稿をするか、すまいか迷いながらも、まあ、後々のために記録だけは残しておこうとパソコンに向かった。
 さあ、いまから第4回目となる我々12回生の『プチ修学旅行』のお話をいたしましょう。
 2009年から始まった『プチ修学旅行』は1回目と2回目が山口県仙崎の『河豚を食らう会』であった。私はその2回目から参加している。
 3回目は2011年11月3日に『津和野日帰りコース』を楽しんだ。
 さて、今回の旅は『松江・出雲の1泊旅行』に決定した。車はトヨタ・ハイブリッド『アルファード』8人乗りである。
 中学時代の6組を中心に12回生が乗員6人で出発することになった。気楽な旅をするにはメンバー6,7人が一番統制を執り易い。2台になるとなにかとややこしくなるし、気を使うし、面倒になる。この年齢(72歳)になると8人乗りに6人が定員である。長い旅の車内はゆっくり、ゆったり使いたい。この歳になって男同士が肩触れ合うのは気持が悪い。後部座席の酒呑童子はすぐに居眠りを始める。一泊旅行にしないと運転士の2人は酒が飲めないことになる。「老人の介護旅行ではない。酒が飲めないことには大いに異議あり!」。
 計画が決まると、さっそく、資料集めが始まった。メンバーで車のオーナーである同期生は島根県の観光課から直ぐに観光パンフレットを取り寄せた。
 今回一泊する宿はホテルとか旅館とか民宿とかの商業施設ではなく、とある宿泊施設を利用させてもらうことになった。
 この宿は、安くて、ゆったりしていて、清潔で、設備が良く、合理的で、要らぬサービスが無く、おまけに温泉までついているという老人にとって、願ったり叶ったりの宿泊施設である。
 更に、目的地『松江・出雲』の資料は伝手を頼ってご当地の関係者からも有り余るほど持ち込まれた。
 私はパソコンのインターネットで情報の収集を行い、時間的な制約もあるので、この3者の情報をコングロマリットして最も有利な組み合わせで今回の旅を実行することにした。
 ここで困ったことは、日程が決まらないとメンバーを決められないという問題が持ち上がった。
 宿の予約が1月前。更に抽選で宿泊日が決まるのが10日間かかる。決行日までは25日間しか余裕がない。
 10月12日からメンバーの募集が始まった。観光地の混雑を避けて、連休明けの平日の2日間を決行日に決めていたのが苦戦した原因であった。
12回生の爺さんも暇と思いきや、それぞれが暇つぶしに予定を入れていて、20人くらい電話して、ようやくのこと6人を掻き集めるのに四苦八苦する始末。楽しく遊んであげようというのに、やれ、ボランティアだ、ゴルフだ、祭りだ、家族旅行だと友達甲斐のない輩ばかりである。
 6人のメンバーが決定したところで、やおら、鳥取市に拠点を置く同期生である元鳥取大学教授を誘って、松江で合流することに話がまとまった。これで総勢7名になった。
 さて、決行の当日である。11月5日(月)、6日(火)の天気予報は、晴の谷間の雨である。出発の時刻午前9時にはすでに小雨が降っていた。
 
 一路、島根県頓原まで車を飛ばして、奥出雲のそば処『一福』にて6人全員が『破籠そば』を食す。後部座席の連中は無神経にも遠慮なく酒類をたしなむ。
 午後1時半に元教授と『島根県立美術館』の駐車場で落ち合う。
 車のオーナーが「なじかは知らねど」障害者手帳を持っているので本人と付き添い1名は無料。元教授がJAFの会員なので4人は1割引。残りの1人はインターネット割引を使って同じく1割引。7人の哀れな老人にお恵みあれ!
 この美術館は雛には希な立派な建築物で、立地と言い、広さと言い、設備と言い申し分ない。
のっけからロビーにはロダンの巨大な銅像が鎮座していて度肝を抜かれる。この秋の特別展は生誕100年『松本俊介展』である。この館の所蔵品は絢爛豪華で、常設展では『洛中洛外図屏風/誓願寺本』あり、石本正『裸婦立像』あり、藤田嗣治あり、モネあり、クールベあり、伊藤若冲の『鶏』あり、葛飾北斎あり、広重ありと、和洋折衷、多種多彩、名品続出、阿鼻叫喚。
7人の老爺は十二分に芸術を堪能して、疲れ果てて、やおら、テラスに出て、嫁ケ島の浮かぶ宍道湖を眺める。鴨や白鳥が優雅に波間に漂っている。思わず、鴨南蛮が食べたくなる。
 この美術館の展望台よりの眺めは『日本の夕日百選』に入っていて、今回の旅の楽しみにもなっていたが、当日は曇り空で、雲間から穏やかな宍道湖に降り注ぐ午後の日差しだけを愛でることで、溜飲を下げるに留め置いた。
 旅の一行は気を取り直して、松江城を取り囲む『堀川めぐり』を選択した。舟遊びの料金は一人1200syudo12-2.jpg円。ここでも障害者と付き添いは半額。4人はJAFを利用して一人200円引き。
 堀めぐりの所要時間は55分。船中では市の条例で禁酒。運転手以外はクーラーに用意していたビールと酎ハイを慌てて胃に流し込む。
 船は7人で貸切り。運転手以外のほろ酔い気分の修学旅行生を乗せて、緑豊かな水郷を滑るように出航した。お堀端の木々は鬱蒼と繁り、まるでマングローブの林を逝くがごとくである。驚き騒ぐでもない水鳥が戯れる水面を横目に、船から武家屋敷を眺め、民家の軒先の吊るし柿を眺め、小泉八雲の居宅を通過するとこれから終点まで、くぐらねばならない橋は全部で16橋ある。そのうち機械式に屋形船のテントを下げて進まなければ通過できない橋が4つもある。これが子供とご婦人と老人には大うけするのである。我々同級生は頭を打たないように、橋の裏側を見ながら、笑い転げて、船底に、犬コロのごとく這いつくばるのである。この状態で女子大生でも同乗していれば、船賃倍出しても
惜しくはないが、そんなに世の中は甘くないと自覚できる年齢に十分達している我々である。ともあれ、純な心で大名遊びを堪能した。
 相撲甚句の歌声に乗せて、我々のプチ修学旅行をもじった替え歌を披露してくれた船頭さんの紹介で今夜の酒宴の場所は決定した。
 まずは、松江城をバックに記念写真を撮り、2台の車で今夜の終の棲家に向かった。黄昏時の宍道湖湖畔の『一畑電鉄』沿線を車を走らせて、迷いに迷って宿に辿り着いた。なぜ、迷ったかというと、この宿は一般に公開されている宿泊施設ではないので、案内の看板もほとんどなく、山手の住宅街のはずれの木立の中にひっそりと建てられていたからである。
 その宿は鉄筋4階建。我々の部屋はその3階にsyudo12-3.jpgあり、3人、2人、2人と3部屋に別れた10畳の和室であった。一人一泊4500円であるが、関係者は1800円、準関係者は3800円と2人分は割安である。勿論、宿泊料金は7人の均等割りである。温泉の入湯税は一人150円。何回入浴しても料金は同じ。浴槽から宍道湖が見渡せる絶好のロケーションである。
 7人は早速温泉に浸かり、腹をすかし、さっぱりして、タクシー2台で松江の飲み屋街に繰り出した。厚生年金暮らしのアルバイト船頭の紹介なので「さして高くはつかないだろう」と話しながら、着いた所は、お食事処・魚料理『かねやす』という駅近の繁華街の裏通りにある料理屋であった。
態度は大名であるが、恥ずかしながら、その実態はケチケチ旅行である。もちろん、ケチを楽しんでいる面は存分にある。街中の居酒屋で地元の人とワイワイやるのが本来の正しい修学旅行生の姿であると認識してはいるものの、他人は許せなくとも、自分たちだけに対しては多少の脱線は大目に見る寛容さは備えている積りであった。
「『かねやす』とは金安とも読めるし、料金もあんまり高くはないだろう」と高を括って、勢いで2階の座敷になだれ込んだ。7人全員の総意で、ここを本日の『通常総会』の場に定めた。
 まず、烏賊の煮付けの突出しにビールで乾杯。次に刺身の盛り合わせを注文。
記念写真を撮影している間に、束の間の隙を突かれて、ウニとかブリとか烏賊とかサザエの刺身は見事に総会屋に攻め落とされていた。「異議あり!」。
あの純な友情はどこに消え去ったのか、幼馴染といえども油断も隙もない。総会の場である宴会場はまさに戦場と心得なければならない。
 食品専科の元鳥取大教授のご指導のもと、ご当地名物のモサエビの塩焼き、ノドグロの素焼き等を堪能した。シャン、シャン、シャンと総会の手打ちをして、『かねやす』を後にしたのは、陽もすっかり暮れてからであった。一人当たり4500円の出費であった。
月曜日の夕刻8時半。夜の戸張りの中を、静まり返った松江市内を散策して、とある一軒のラーメン屋を探しあてた。ここでラーメンと餃子を注文して、ビールで乾杯して、人心地着いたところで、タクシーを呼んで宿に帰還した。時刻は門限午後10時の30分前。元教授持参の手土産『緑水園の竹するめ』を酒の肴に一杯飲んで早めに寝についた。
 
あくる朝400円の朝食を済ませて、7人は2台の車で安来市にある『足立美術館』に向かった。またもや、車中は雨また雨である。
 この美術館は、『足立全康』という不動産で一代を築いた地元の資産家が5万坪の大庭園を造り、それを借景に広大な平屋の建物を建設したものである。駐車場だけで、敷地はカープ球場にも劣らない位の広さがあsyudo12-4.jpgる。全国各地、遠くは東北、関東、関西方面からも観光バスや自家用車で庭と絵画を鑑賞に訪れる。そのほとんどがパワーあふれるおばさん連中である。
 所蔵作品は横山大観の作品『紅葉』を始め130点。そのほか、日本近代絵画の竹内栖鳳、橋本関雪、河合玉堂、上村松園等の作品を収蔵し、魯山人、河井寛次郎の陶芸の展示場もあり、平櫛田中の木彫もある。おまけに、地下通路を抜けた2階建ての別館では絵画の大きさばかりが目につく迫力満点の秋の『院展』を開催していた。
 しかし、なんと言っても、この美術館の売り物はその広大な庭園である。見渡せる全山を庭園化していて、世界的な評価も高く、庭園では『10年連続日本一』という折り紙つきである。これは一見の価値がある。
 遠く山上から不自然な滝が落ちていて、時たま、目を凝らしていると、木立の間から手入れにいそしむ白い作業車が見え隠れするのはお愛嬌である。
 さすがに、これだけの庭園。銭もかかる。入館料は大人1人2200円也。ここでも障害者のsyudo12-5.jpg特権を使い、2名が半額。JAFで4名が1割引。

 午前中に足立美術館を修学し、高速道路を利用して、神話の国『八雲立つ出雲』へ針路を向けた。
 出雲平野に入ると、二階建ての建築物さえ見当たらない。広々とした葡萄畑が続く田園地帯を7人は昼飯を探して、そぼ降る雨の中を2台の車でさまよった。食堂、ファミレス等は一切見当たらず。雨の日の車中でのコンビニ弁当では修道生のプライドが許さない。
 『神話博しまね』の会場に辿り着けば、「昼飯くらいはありつけるだろう」と気楽に考えて、少し離れた駐車場より、奇跡的に雨の止んだ濡れた歩道をそぞろに歩いて会場に向かった。ところが、会場近くの食堂は火曜というのに一時間待ち。
 「出雲地方に行かれるのでしたら、是非、立ち寄ってください」との地元関係者の方のご好意で、ありがたく頂戴した『神話博しまね』の入場券(800円)を使って、博覧会の会場に繰り込んで、仮設テントのフードコーナーで7人分のパック物のちらし寿司とペットボトルのお茶を購入し、雨で濡れたテーブルとイスを拭いてもらって、ようやく昼飯にありつくことができた。
 7人は腹をsyudo12-6.jpg満たすと、『神話映像館』の入り口で午後3時に落ち合うことを約束して、いよいよ、1300年もの時を超えた異次元の世界に勇躍と躍り込むことになった。
まず『神話シアター』でオオクニヌシノ尊と因幡の白兎の神話を30分間鑑賞した。ここで恒例の午睡をとる絶好のチャンスを逃した。そのほかの展示物は古代出雲大社本殿の大型模型、荒神谷遺跡で発掘された358本の銅剣、加茂岩倉遺跡で発見された大量の銅鐸等が主たるものであった。
会場内ではばらばらに行動していた7人は待ち合わせ場所の『神話映像館』で合流した。ここではスサノウノの尊とヤマタノオロチの大立ち回りを大音響の大型スクリーンで堪能した。豪雨は天井をたたいているし、安眠の場所と踏んでいた暗闇が一転にして、騒音の場所と化していた。そのせいで、昨日今日となんの罪も犯していない7人の善良な市民はすっかり眠気を覚まされてしまっていた。
 出雲では、この秋『古事記1300年』のイベントが目白押しである。その様子は連日テレビ番組や新聞各社で取り上げられている。
 出雲の博覧会を堪能し尽くした後、ここで急遽『臨時総会』を開催することにして、今回の旅の総決算を会場内のティールームでココアを飲みながら挙行することに決定した。
 鳥取市に引き返す元教授の経費が15600円。残りの6人は広島に到着してから精算することになった。黄昏の国道9号線で、元教授と東西に分かれて、我々6人は晩秋の荒海を眺めながら9号線を西へ西へと走って江津に向かった。
 山陰自動車道に入る手前の益田市の『道の駅』で熱いうどんを食すことに衆議一決した。「異議なし!」。
 ここで温かい腰のある肉うどんを堪能して、2日間遊びほうけた中高年はおかみさんに手土産を買って帰らなければ、家に入れてもらえないことにハタと気付いた。お土産をしこたま買い込んで、一路、浜田高速道を抜けて広島市に帰り着いたのは夕刻7時であった。2日間の旅は終わった。
 最後に、この度の旅の総決算をすることになった。障害者手帳のご利益で高速料金は半額。ガソリン使用は 50リッターで、7500円の6分割。走って、飲んで、食って、寝て、学んで、遊んで一人当たりの総経費は〆て19,400円。遊びほうけた2日間の総決算である。
 尚、ここに登場する同期生の姓名は、あらかたの他の学年の方々には無縁なものであるし、それがかえって煩わしく思われてもいけないので、文章の中には敢えて入れないことにした。
 
≪旅の印象≫
不運なことには、今回の旅は2日間とも天気予報では雨だった。確かに、雨にはよく遭遇した。広島市を出発する時には、既に雨が降っていた。
松江に入っても雨が迎えてくれた。二日目の朝も雨模様であった。足立美術館へ行く途中も小雨が降った。美術館を出ると、出雲までの道のりはずっと雨であった。『神話博しまね』の展示場から展示場を移動する時も雨は降っていた。特にラストの『神話映像館』の特設会場の天井には激しい雨音が叩きつけていた。
 けれども、出雲の神々は、我々7人の善良な修学旅行生を最後まで見捨てなかった。行き着く先々で、我々が歩いて移動するときに限って、快晴になることはないにしても、ともかく、雨は止んでくれていた。そのため、空気は澄み、紅葉と緑はみずみずしく美しく輝いて見えた。老人にとって気温も快適で、徘徊もなく、一人の迷い児も出さず、予定の行動のすべてをクリアーすることができた。
 あらゆる神々のご加護に感謝しつつ、ここにパソコンを閉じる。

修道12回 増本 光雄
2012年11月26日