修道中学6組会『第6回プチ修学旅行』を終えて その1

―58年前の北九州周遊の旅―

修学旅行実行委員会

 58年前になりますが、私達修道中学3年生は昭和31年(1956年)5月26日から30日まで、4泊5日の北九州一周の修学旅行に行きました。

01DSC_0009.jpg どうした風の吹き回しか知りませんが、広島女学院の生徒と同じ列車に分乗しての楽しい旅でありました。何故、広島女学院が同伴者に選ばれたかはいまだに謎であります。恐らく、一列車を借り切るのに修道だけでは満杯にならないという理由で女学院に白羽の矢が当たったのではなかろうか?と言うのが当時のもっぱらの噂でありました。丁度性に目覚めるお年頃の宝亀15歳の修道健男児にとって、それは余りと言えば余りにも刺激が強うございました。何かと後々、生徒の間で不都合な事態が出来した結果かどうかは計り知れませんが、この一回きりで、女学院とのランデブーは廃止になりました。なにはともあれ、私達修道中学生は千載一隅のチャンスに運よく巡り会えたのでありました。このことにより、その後の修道及び女学院の生徒の身の上にいかに波乱万丈の人生が待ち受けていようと、これ一重に、学校の責任ではなく、個々人の人生に立ち向かっていく姿勢の問題であることをここに宣言いたしておきます。
  ちなみに、たまたま、運悪くこの旅行記をお読みになる諸兄のために、参考として58年前の『旅行日程』と『旅行費用計算書』を提示しておきます。今回の旅行と比較してみるのも一興と思いますので、繰り返しご参照ください。
 さて、今回の旅はその58年前のコースを再び辿ってみようと思い立ったのが事の始まりでありました。同じ場所を、同じ季節に辿る思い出探しの旅であります。
 今回でプチ修学旅行も6回目を迎えます。これまで5回のプチ修学旅行は無事に、且つ、楽しく催行することができました。こうした成功事例に後02DSC_0020.jpg押しされて、今回の3泊4日の旅を敢行することになりました。
 プチ修学旅行の3回目から踏襲されてきたメンバーの中の一障害者が所有するトヨタのハイブリット車『アルファード』8人乗りワゴン車に最高催行募集人員6人を厳選して履行することになりました。この度も慎重を期しまして、実行の3か月前の2月10日にメンバーのピックアップに着手することにいたしました。条件として、二足歩行が可能な者、徘徊の習癖が無き者、体に良くない物をたらふく食べられ、鯨飲が可能な者。役に立つor立たないは一切問わないが、体の中心に男性のシンボルの痕跡をぶら下げている者。つまり、この度は女学校の卒業生はこれに該当しないこととすることを謳った。
 まず、修学旅行で大活躍した大津の住人を誘ったが、案の定、今回は棄権するとのたまう返事が来た。前々回、前回と2度も参加してくれた元鳥取大学教授がわざわざ鳥取から列車を乗り継いで、広島市に一泊して参加するということで、6人のメンバーはあっけないくらい瞬時に決まった。
 寝泊まりして、昼はグルメ、夜は宴会。観光地、美術館、博物館を思うさま巡って、1日1万円という計算はいささかきついと判断して、3泊4日で5万円と言う予算をはじき出した。
 今回の旅のひと月前に車の持ち主が詳細な日程表を作成してくれたので、確認の意味を込めて、今回の旅の参加者それぞれに通達するとともに、久留米在住で『久留米総合病院』勤務の同期生に「博多で会えないか?」というコンタクトを執った。なぜ、72歳03DSC_0013.jpgにもなって、現役で働いているか?というと、彼は麻酔科の医者であり、麻酔科は医者が少ないという理由で嘱望されて、いまだ現役で働いているということであった。
 「月曜、火曜は、麻酔科は忙しいが、代わりを頼んで夜の部は抜け出せるので、是非会おう。それで、宴会はどこを予約している?」と問うので「博多名物『もつ鍋』を食べる積りでいる」と答えると「この季節にもつ鍋はない。ホルモン料理は冬のもんだ。予約しておらんのなら、わしが日本料理の店を予約しておく」と強引に決めてしまった。
 次に、長崎の夜は同じく同期生が耳鼻科を開業しているというので、これにもコンタクトを執ってみた。これは残念ながら、5月14日の夜は学会で博多に行くということなので、正にすれ違いとなる。ということで、残念ながら会うのは諦めることにした。