第14回全国シニア(60歳以上)サッカー大会、シニア(70歳上)サッカーフェスティバルに参加して

平成26年6月25日
林 孝治 (2回)  
                          

大会期間 2014年5月31日(土)より6月2(月)まで
会  場  藤枝総合運動公園サッカー場
      同上      陸上競技場
      藤枝市民グランド
      中外製薬工業(株)工場グランド
主  催  日本サッカー協会
主  管  静岡県サッカー協会
後  援  藤枝市教育委員会・静岡市体育協会
参加チーム 60歳以上 14チ-ム
      70歳以上 14チーム
修道参加者 60歳以上  広島県選抜   高下一夫(23回)
      70歳以上  広島県選抜   林 孝治(2回)  高瀬正則(9回) 大内 晟(11回)
            東京都ロイヤル 竹内民雄(10回) 藤田 勉(13回)
                                        計6名
戦  績  60歳以上 広島県選抜
            1-1 SUPER GOAL3, 0-1 信州, 1―1 兵庫県 
                                         Dグル-プ3位
      70歳以上 広島県選抜
            1-0 徳島, 0-1 東京, 1-0 北信越         Dグル-プ2位
             
           東京都ロイヤル
            5-0 北信越, 1-0 広島, 5-0 徳島         Dグループ1位

大内さん・林さん・高瀬さん.JPG竹内さん.JPG藤田さん.JPG高下さん.JPG

写真は左から(敬称 略)
大内(11回)・林(2回)・高瀬(9回)・竹内(10回)・藤田(14回)・高下(23回)

勝者と敗者
 スポーツには娯楽性と競争性があります。大会となると競争性が優先します。 
その中で同じ学校であったり、または同級生で同じチームであった選手が今では広島と東京に分かれて勝敗を争うことになります。
 昨年も広島は東京と対戦しまして、戦績は引き分けましたが、今年は敗者となりました。それでも試合の前後には、お互いが広島弁で親しく話し合いを致します。何十年経過しても変わらない絆が年一回の
本大会を機会に深められていきます。同窓生の皆様、全国各地より本大会に参加して下さい。
先述は同じ同窓生の勝敗ですが、次は全国優勝を争った勝敗です。

 戦後間もない昭和24年国民体育大会が東京で開催され全国優勝を目途に参加しました。
戦後、広島の黄金時代に「関東の浦和に勝たないと全国優勝はできない」と先輩に指導されておりました。準決勝戦で浦和ではなく栃木県の宇都宮との対戦に1-2で敗れました。慙愧に堪えません。
何十年経過しても忘れることはありません。
 ところが昨年、平成25年のねんりんピック高知大会で、関東代表栃木と対戦することになりました。その中に当時の宇都宮高校の選手と対面することになり「東京の国体で広島の修道高校に勝ちました」と
言われ、こちらが敗者、修道の当時のメンバーであることには気づかず話が続き、涙が出て止まらなくなり言葉もでませんでした。

 その後、大阪 堺で静岡県藤枝東高校出身の選手と同じチームになりました。終了後「国体で広島の修道高校に優勝戦で負けました」と聞かされました。宇都宮高校の敗者の気持ちが惹起してきて、その場所で相手の気持ちを思うと、自分が修道OBとも、その試合のメンバーが参加しておることも宇都宮高校の反対の立場の気持ちが痛いほど分かりますので何も言い出せませんでした。
 今回のシニア大会が藤枝で開催され、重ねて、お逢いすることになり、再度その昔話が出てきて、敗者の気持ちを、事前にお話して、了解の上、修道OBや優勝時のメンバーを紹介致しました。
これからも、同じチームで仲良くゲームをすることになります。
 全国優勝の勝者と敗者の気持ちはスポ-ツの競争性のためには避けられないもので、ただ今では娯楽性だけを表面に出して、笑顔で笑い流して、心の内では悔しさを我慢するしかありません。

藤枝サッカーのルーツ
 広島と同じように東京高等師範学校(元東京教育大学・現筑波大学)の先生が藤枝に赴任されたのが旧制の藤枝中学校でした。
当時は静岡県の志田平野で野球をしていたが蹴球に変わりました。静岡県志田郡で天皇杯にOBが「志田クラブ」の名称で参加しておりました。旧制の中学校は藤枝高校になり、その後、藤枝東高校に名称変更されました。

以上