修道中学6組会『第10回プチ修学旅行』を終えて

―――秋の京都『紅葉三昧』の旅―――

『プチ修学旅行』実行委員会

2015年の春の『第9回プチ修学旅行』で4月14日(火)、15日(水)、16日(水)の3日間、主として奈良の吉野と京都の醍醐寺を巡って桜樹を観賞して回った。

それでは秋には紅葉を愛でようと再び京都を目指した。

今回のプチ修学旅行の日程は2015年11月24日(火)、25日(水)、26日(木)の3日間に決めた。ウイークデイを選んで、大混雑を避けた積りであった。

実行委員会は3か月前に活動を開始した。

まず、京の紅葉の見頃である時節を選んで、広島から出発するメンバーの選択に移った。春のメンバーを2人入れ替えて、毎度トヨタのアルファード8人乗りに6人が乗り込んで、24日の朝広島駅前を午前8時に出発することに決めた。

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前回のメンバーを2人入れ替えた理由は大阪で合流する同級生のメンバーに新鮮味を味わってもらうためもあったし、われわれ同級生の車中での会話(社会勉強)に変化をもたせる意味合いもあった。

今回の旅は大阪を通り過ごして、いきなり京都に潜入する行程を採ったため、途中のサービスエリアでの昼食の時間を惜しんで、あらかじめ巻き寿司とペットボトルのお茶を準備して、昼食をサービスエリアの食堂かベンチか車中で済ますことにした。

大阪まで『山陽自動車道』を順調に走破して、流石に大阪京都間は渋滞したものの、予定通り13時30分には京都の紅葉の名所『東福寺』に到着した。

覚悟はしていたものの、早くも『東福寺参道』で芋の子を洗うような混雑に巻き込まれた。そのおよそ半数は外国からの観光客である。

日本の着物を着ている娘さんだからと安心して話しかけると顔の前で広げた手を横に振られる。全くがっかりぽんである。

ここで鳥取からバスで駆けつけた同級生一人と合流する予定になっていた。東福寺の入り口(料金所)の前で待ち合わせることにしたところ、あまりの観光客の多さに臨時の料金所が設けられていて、彼はそこで待っていた。待てども暮らせども姿を現さない。結局、かなりの時間のロスを招いてしまった。

漸く合流して、紅葉を愛でるために一番の鑑賞スポット『通天橋』を目指した。

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この通天橋も押すな押すなのえびす講(お祭り)状態。記念写真を撮影する場所を確保するのにも一苦労。全山の紅葉が見渡せる一番のスポットは通天橋のせり出し部分で、ここからの写真撮影も順番待ちである。

人を押しのけかき分け、ようやっと記念写真の撮影場所を確保し、同級生6人と紅葉を入れて魚眼レンズで素早くパチリと抑えた。

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人の流れを遮るので、同じ場所に留まることは許されない。何事も事は俊敏に終えなければならない。

人に押されて、東福寺本堂(仏殿)に辿り着き、方丈にある『八相庭園』を巡ることにした。

これらの一連の庭園は昭和期の日本の作庭家である重森三玲(しげもりみれい。1896年8月20日~1975年3月12日)の作(デザイン)で、モダンな枯山水の庭である。

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   東福寺を制覇したのが15時ジャスト。大阪に引き返しての18時からの大宴会までには多少時間のゆとりがあると判断して、JR奈良線で2駅南に下がった『伏見稲荷』を襲うことにした。

今や世界中の観光客のアンケートで「一番行って見たい観光地が『京都』」という結果が出ている上に、京都の中でも外国人に一番の人気スポットが『伏見稲荷』なのであるから、駐車場の確保どころか、既に車で道路を通行するのさえ不可能な状態であった。京都の道路は昔の町並みが残っていて押しなべて狭い。

参道までの旧来の狭い道は外国の観光客であふれかえっていて、立錐の余地もない。まるで人種の坩堝(るつぼ)の様相を呈している。

車を人ごみの中から脱出させるのが精いっぱいの仕儀。とてもじゃないけど、駐車場はおろか本殿にも本命の赤い鳥居のトンネルにもたどり着けそうにない。

残念ながら最早諦めて大阪に向かうしか手立てがない。

当初、3か月前から活動を開始して京都のホテルをチェックインすベくインターネットで検索したが世界一の観光地である上に、秋の紅葉のシーズン真っ盛りである。「とてもじゃないが京都に7人分の部屋を確保することは叶わない」と判断して大阪に宿を採ることに決定した。

宴会の会場は食道楽で名にし負う大阪に勝るものは無い。

渋滞する高速を抜けて、大阪の『ホテル1-2-3』にやきもきしながら辿り着いて、手早くチェックインを済ませて、JR環状線の寺田駅から2駅乗って阿倍野駅に降り立った。

『あべのハルカス』の前を通過して、『きんえいアポロビル6F』にある高級居酒屋『さかなや道場』に乗り込んだ。

18時までには近畿地方在住の同級生4人が繰り込んできて、総勢11名で乾杯して4500円で飲み放題喰い放題の豪勢な宴会が始まった。

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広島組6人からの手土産として他府県から参加している5人の同級生に対し、『賀茂鶴の吟醸酒2合瓶』1本と岡山産の『烏賊ピー』2袋をそれぞれに厳かに贈呈した。

女房殿のたってのご要望で、はるばる大阪まで駆けつけた7人分の土産としては天明元年創業の由緒ある『神宗』の山椒入り徳用『塩昆布』を前もって門真市在住の薬剤師に「7袋買い揃えておいてくれ。銭は会うた時に払う」と電話で注文しておいた。

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「あの塩昆布は入手困難なんで~。三越の地下の食品売り場しか売っとらんし、予約は一人1回5袋までなんじゃ。よっしゃ。わかった。必ず買っておいちゃる」と気持ちよく引き受けてくれた。

さて、当日。薬剤師は勇躍として塩昆布7袋を持って現れた。

「これを買うのは大変じゃたんでえ~」と領収書を会計に提示した。1袋1080円。〆て7560円の出費である。これで留守を守る女房殿に一つ良い土産ができた。

久し振りに会う中学生時代の同級生の気の置けないパーティということもあって、ついつい気も緩み、割り勘ということもあり、負けてはいけないという欲も働いて、さしつさされついつもにもなく酒が進んで、一人はたちまち顔が真っ赤から真っ白に豹変して、表情が止まってしまう有様。慌てて氷水を飲ませ、事なきを得たとおもいきや、もう一人は帰り際に畳に顔から突っ込んで、蛙がつぶれたように身動き一つできない体たらく。額をすりむき、顔中血だらけという緊急事態を演じてしまった。

二人とも前職が大学教授という共通点を鑑みると「自分の酒の許容量をご存じない」といううぶな側面を窺わせる。74歳はまだまだ洟垂れ小僧である。

大津の住人は「いつも夕刻7時半に床に就いて、午前4時に起きて散歩をする」由。彼にとってPM8時まで飲み明かすのは大事件に相当する。

顔面血まみれの元阪大教授をタクシーに乗せて帰らせておいて、日本一の高層ビルである光輝く『あべのハルカス』をバックに、通りかかった別嬪さんにシャッターを押してもらい、居残った8人で肩を寄せ合いご機嫌な記念撮影。

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寺田町までJR環状線で移動し、夜風に吹かれながらご機嫌でホテルに向かった。そこで、ホテルでの恒例のたこ焼きパーティを開催すべく途中でたこ焼き1パック買い求めた。

21時からホテルの一部屋に集まって本日の反省会が始まった。

あらかじめ広島で買い求めて、クーラーで冷やしていたシャンペンの封を切り、大阪の名物たこ焼きを肴にまずは『第10回プチ修学旅行』の無事開催を祝して『乾杯!』。

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PM10時に明日に備えて、修学旅行の生徒は各自の部屋に散って行った。

翌朝、ホテルで朝食を済ませて、午前9時に再び京都を目指した。

京都2日目は嵐山からスタートした。

観光地『嵐山』の渋滞を予想して、太秦近辺に駐車して、『嵐電』(らんでん)に乗って嵐山終点まで移動することに衆議一決した。「チンチン電車に乗っての移動もまたこれ粋な計らいだ」と判断しての年寄りの知恵である。

ほとんどの行動、あるいは妙案はその場に臨んで協議して決定される。

嵐電の終点である嵐山に到着し、一歩『渡月橋』に通じるメインロードに足を踏み入れるとそこはすでに人種の坩堝と化していた。

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渡月橋に辿り着いたのはAM11時を廻っていた。河畔で記念撮影をして、橋を渡ってすぐに引き返すことにした。老人は先を急がねばならない。

次に向かったのが『天龍寺』であった。

『天龍寺』は足利尊氏が政敵であった後醍醐天皇の菩提を弔うために夢窓疎石(国師)を開山として創建した寺院である。

天龍寺の大方丈に一歩足を踏み入れると玄関で天龍寺の顔とも言える愛嬌のある大きなだるまの絵が迎えてくれる。

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寺内の大方丈の前に広がる『曹源池』は言わずと知れた無窓国師の作庭である。

大方丈の障子越しに見下ろす風光明媚な曹源池は嵐山を借景としてどこまでも続く紅葉と新緑のコラボレーションの様相を呈し、えもいわれぬ絶景を我々中高年のあどけない瞳に焼き付けてやまない。

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感動を胸に抱いたままに池を巡って、山道を辿った。行き着く先に北門があって、そこを抜けると目指す『竹林の道』に通じる。

「眼を覆うばかりに群がり真っ直ぐに天に向かって伸びた『竹林の道』に一歩足を踏み込むとたちまち昼なお暗い静寂の空間に誘い込まれる」と書きたいところであるが、ここも各国人種老若男女入れ乱れた休日の『原宿』竹下通りの様相を呈す。秋の洛中が押しなべてそうであるように『竹林の道』もまた繁華街であることには変わらない。

竹林の道において、全員の記念写真を撮っておきたいと竹林の道ですれ違った軽い乗りの娘に目を付けてシャッターを押すように依頼した。

タレントのローラ並みの口調で英語の単語だけを並べ立てて喋り捲る無駄に明るいその娘はいとも軽く引き受けて、われわれ7人の紳士にカメラを向けてシャッターを切った。

「バイバイ、ソオハッピイ!」と言って後ろ手に手を振りながら、人ごみの中に消えて行ったすっ飛んだ娘が写したはずの全員のスーパーショットはカメラの中に何ら痕跡を残していなかった。果たして彼女はカメラのどこを押して去って行ったのであろうか?

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竹林の道の終点では『大河内山荘』の門が迎えてくれるが、我々無垢な老人は山荘を横目に見ながら素通りして別荘地と見まがわしき住宅街に踏み込んだ。

ここより一転人跡未踏となり、森の中から聞こえてくる嵯峨野に潜入するトロッコ電車の走行音を耳にしながら、別かれ道に立ててある標識に導かれて、のんびりと住宅街の坂道を下り、20分かけて嵐電嵐山の駅に辿り着いた。

随分と回り道をしたことになるが、ここに至って漸く一般の多くの観光客が竹林の道を大河内山荘から引き返していた訳が理解できたのであった。

荒電嵐山の駅から太秦辺りまでチンチン電車で引き返して、再び車中の人となった。

次に目指すのは同志社大学の学食である。京都2日目の昼食はここに決めていた。

ちょっと小洒落た赤レンガの校舎の1階にある『Hamac de Paradⅰs』という名称のパーラー仕立ての学食である。

この学食は緑の庭園を前にした西洋風のモダンな造りになっていて、比較的おしゃれに着飾った別嬪の女子学生が利用するデートとかおしゃべりに適した場所にしつらえてある。

そこに迷い込んだ中高年のおっさん7人が辺りの雰囲気に圧倒されながらも案内されて自販機で食券を購入して、盆を持って厨房のカウンターの前に並んだ。

食堂のチーフがすかさずカウンター越しに我々の前に立ち「ここの大学のOBの方々ですか?」と声を掛けてきた。

京大卒のメンバーの一人がしどろもどろになりながら「そうじゃーないですが、中学時代の同級生の団体で、いま修学旅行中です」と慇懃に答えた。

この旅の連中はすべてこの大学の教授よりもはるか年上であるからおのずと威厳というものが備わっている。

それぞれ味とか仕様が判らないのでオーソドックスなカレーライスとかハンバーグとかパスタとか500円もつれのメニューを注文し、センターテーブルに陣を取った。

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チーフは「この客人達は見たところ人品が備わっている。きっとやんごとなき人々にちがいない。不便、不満が有っては失礼にあたる」と我々に目を光らせ、サービスにあい勤めてくれた。

味も値ごろに美味であり、われわれ修学旅行生は満足して、食後のデザートを求めて別棟の学校生協の食堂に向かった。

学校生協の食堂はかけうどん1杯172円、味噌汁1杯30円、エクレア1個61円と格安であり、より庶民的な大学生が利用する食堂である。

我々はそこで1皿106円のフルーツヨーグルトを奮発する積りで勇躍として歩を運んだところ、文化祭の準備らしく道路わきにテントが張り巡らされていて、生協食堂は午後2時でクローズされていた。

人心地ついた修学旅行生が昼から向かったのは『金閣寺』(鹿苑寺)であった。

駐車場に車を止めて、鹿苑寺の山門をくぐり、道なりに歩いて行くと人ごみの中にポッカリと金閣寺が目に飛び込んで来た。

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『金閣寺』は室町幕府三代将軍『足利義満』が建立した金色に燦然と輝く三層の楼閣建築であり、それを目にした観光客は老若男女諸国民おしなべてアッと嘆声を漏らし、しばし言葉を呑む。

『鏡湖池』が金閣寺を取り巻くようにあつらえてあって、池に写し込まれる金色の伽藍は真っ赤な紅葉と相まって得もいわれぬ風情をかもす。観光客は金閣寺を取り巻く池畔をひねもす巡ってその華美なる姿を脳に焼きつけられる。

晩秋の日暮れはつるべ落としである。ほの暗くなりかけた京の町家を抜けて高速道路へと出る。

その頃からワゴン車の前窓にはポツリポツリと雨だれが懸るようになってきた。

1時間かけて辿り着いた大阪の街は雨に濡れて打ち沈んでいた。

我々は「今夜の宴会をどこの空の下で開催するか?」迷ったが、ホテルのロビーに備え付けてある近場の居酒屋や飲食店の案内マップに目を通して、今夜はご当地寺田町に宴会場を設けることにした。

それぞれが傘を差し、あるいは合羽を着て、ホテルから外に飛び出した。

ざあざあ降りの雨の中を迷いに迷って歩いていると、『や台ずし』という居酒屋のこていな戸を開けて、高校生とも思える可愛い娘が飛び出してきて「いらっしゃいませ!」と威勢よく声を掛けてきた。

可愛い娘にすこぶる弱い中高年の修学旅行生たちは引き込まれるようにその居酒屋に雪崩れ込んだ。

更に嬉しいことにこの店が大当たりであった。安いうえに料理のネタが新鮮で結構美味なのである。

「19時までがサービスタイムで中ジョッキ生が半額の250円で~す」という可愛い娘のお勧めに従って、さして飲めもしない連中まで慌てて一人3杯注文してテーブルの上に並べる。上品に振舞ってはいるがその実結構さもしい。

昨日の宴会で飲み過ぎは懲りている筈なのに、1日経つとすっかり忘れている。

それからというもの注文が出るたびにその姉ちゃんを指名して「森本ちゃん!刺身の盛り合わせ。森本ちゃん!にぎりずし。森本ちゃん!もつ鍋。・森本ちゃん!茶わん蒸し~」と老人の割には甘い声を出しながら暴飲暴食の限りを尽くしたとさ。挙句の果てには御愛想も『森本ちゃん』指名でなくては済まない体たらく。

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この夜の宴会費は一人頭〆て4168円。

大雨の中を7人はご機嫌でホテルに向かった。

本日のミーティングは昨日買い置いた伏見の大吟醸に鳥取大が雨の中を走って買って来た恒例のジャンボ『たこ焼き』2パックがテーブルの上に並べられた。

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「この雨の中、随分と遅かったね」と声を掛けると、鳥取大は「たこ焼きが焼けるのを待っとったんよ。『焼きたての方がいいでしょう』とたこ焼き屋のお姉さんが言ってくれたので・・・」と言って「それがそのたこ焼き屋のおねえさんが広島女学院の卒業生で『どうして私こんなところでたこ焼きなんか焼いているんでしょうね?』と言う訳よ。ついつい話が弾んでしまったのよ」という次第でありました。道理で今夜のたこ焼きは2パックと『大盤振る舞い』なわけである。

あくる朝目を覚ますと、私の左目は血管が切れて紅葉の如く真っ赤に充血。

しかし、あれほど降り続いた雨も止んで一天俄かに曇り空。

AM9時に三たび京都を目指した。

この度の修学旅行は京都のメジァーの観光地ばかりを満喫することにしていたので、『清水寺』に向かってハンドルを切った。

若い時に一度ならず訪れた観光地も年降るに従って、景色も抱きしめてやりたくなるくらいに味わい深く、それまでに見えなかったものも見えてくる。

そのような時は「別嬪を見ても若い時ほど興奮はしないが、なるほど年を取るのもいいもんだ」と自分自身を納得させるのであった。

清水も大混雑が予想されたので、車は坂下の大通りの駐車場に停めることにした。

延々と坂を登って、清水の寺内に辿り着いて7人は清水の舞台に立った。

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先生は「人ごみに迷ってはいけない」とあらかじめ修学旅行生に注意を与えておくことにした。

「これからは決して個人行動を執らないこと。たとえ綺麗なお姉さんがいても決して付いて行かないこと」と厳重に言い含めた。

人ごみをかき分けて一列になって修道健児らしく節度を守って境内を一巡することにした。

『音羽の滝』は三筋の湧き水が滝のように糸を引いて流れ落ちている神域である。

一番左の湧水を柄杓ですくって飲むと「学問が上達する」というものであったが、他県の修学旅行生に権利を譲ることにして我々老人はパス。真ん中の滝水は健康及び長寿に霊験あらたかということであるが、長々と順番を待ってまで長生きしたくもなくパス。右の滝水を飲むと良縁成就ということであるが、女房殿だけで持て余しているのに今更良縁を望むべくもなく断固パス。

それにしても京都のお寺さんは押しなべて商売上手である。行き着く先で観光客にお金を落とさせようと苦心惨憺している痕跡が窺える。

お土産屋が軒を連ねる『産寧坂』を下って、八坂の塔辺りを散策する積りが、いささか人の波にうんざりした生徒達は京大さんの提案で急遽『岡崎公園』内にある『京都美術館』で開催している『フェルメールとレンブラント』展に赴くことになった。

車のオーナーがちょっとした心臓の障碍者であるから本人と付き添い1人が入場無料。残りの5人は入場料1500円のところ鳥取さんがJASカードを提示して1300円に割引。

得をしたと勇んで会場に踏み込んだところフェルメールもレンブラントも1点のみ。そのほか彼らの同時代の画家の作品がズラーと展示してあった。

「それなら展覧会のタイトルを『フェルメールとレンブラントの周辺の画家たち』と改めるべきではないか?」と一瞬軽い憤りを感じたのが正直な心境。

タイトルはいささか御気に召さねども、内容はオランダのルネッサン期の真面目な細密描写の絵画が並んでいる。総じて意図するものは充分に理解することができて満足することにした。

取り急ぎ、事のついでに美術館の真向かいにある『平安神宮』の『應天門』(神門)の前で記念写真を撮って、そこから予定していたように四条の『錦市場』を目指した。

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当初はその近辺の豪華なレストランで昼食を摂るというスケジュールであったが、予定外の美術館巡りに時間を費やし、帰りの時間が迫っていたので、致し方なく四条河原町通りにあるビルの地下食堂に飛び込んだ。

メニユーはどうやら日本食臭いが店主がチャイナ服を着ているのがどう考えても合点がいかない。「いささか怪しい店に飛び込んでしまったかな?」と首を傾げた。

訳も解らず、全員お勧め定食を注文したら、社員食堂並みのシステムでお盆の上に生卵、味付け海苔、お湯を注ぐインスタント味噌汁にメインディッシュは鮭の粗落としと来た。

それでも時間に追われていたので、その犬の餌のようなグルメ料理を言葉も無く掻き込んだ。

〈感想1〉値段が押しなべて、5〇〇円ポッチだったのだから、その内容に四の五の言ういわれはない。

〈感想2〉それにしても人間追い詰められると、口に入る物は何でもおいしく感じるものである。

かくて、京都からバス便で鳥取に帰る同級生と別れ、修学旅行生の一行6人は予定の時間通り京都に別れを告げ、広島に進路を取るべく高速に乗った。

女房殿のリクエストで途中のジャンクションに寄って岡山名物吉見屋の『田舎羊羹』を6個購入すると大量買いのおまけにスクラッチカードが付き50円の大当たり。深く考えてみると二度とここのジャンクションで買い物することはないことにハタと気付いて、新たに2本買い増すことになった。

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レジでふと後を振り返ってみるとメンバー全員が羊羹を2本、3本と手に持って並んでいる。たちまち羊羹の山は消えて無くなり、すぐさま店員に追加を要請した。

『三木サービスエリア』でトイレ休憩をとった折に元菓子問屋の社長がどうしてもたこ焼きの1種の『明石焼き』を食べたいというので、焼けるのを待って、外のベンチに腰かけて2個ずつ明石焼きたるものを食す。

『明石焼き』とはたこ焼きを温かい出汁が入った椀に浸けて食す。それを箸か爪楊枝ですくって食べるという結構手間がかかる厄介な地方名産である。

広島に帰り着いたのは夕刻の8時半であった。かなりの強行軍でみんなかなり疲れたことであろう。

この度の旅行にかかった一人頭ガソリン代が2250円。高速料金は1人頭2000円。〆て交通費は一人頭4250円。勿論毎度のことであるが、車のオーナーが障碍者手帳を所持している特典があって高速料金はすべて半額。スナップ写真の代金が一人頭1500円。

お土産を除いた宿泊費、駐車料金、宴会費等を含めて、1人当たり3万円と500円を会計に徴集されている。

面倒な計算になる昼食代金や移動する時の電車賃などは多少自腹も切っているので、これも計算に入れると旅の総費用は一人頭3万2000円位が妥当な線であろう。

兎に角、私に限って、この旅行の諸経費を発表させてもらうと、財布に残っていた残金から推測すると、大量の土産も含めてトータルで4万円近く使っての愉しく有意義な修学旅行を終えたと同行者に感謝している。

さて、今回の旅も天候にも恵まれ、途中で共に行動できなくなる友も無く、誰一人として不満を漏らす者も無く、元気に心から愉しんで故郷に辿り着いたことをなにより嬉しく思っている。

それにしても、このように気の合った、それぞれの分野に秀でた、個性豊かな生涯の友に会わせてくれた修道学園というゲマインシャフトの存在に感謝すること大である。

勿論、これまでもこれからも同期生、先輩、後輩の繋がりに対して、同級生と同様の感謝の気持ちを持ち続けていきたい。

『One for All.All for One!』