高校39回卒同期会(サンキュー会)特別授業のご報告

                                                                        高校39回卒幹事 北村直幸

 高校39回卒の私たちは、同期会をサンキュー会と称し、毎年12月30日に広島市内で集まって旧交を温めています。ここ数年は、宴会の前に、国内外で活躍中の同期生に1時間ほど現況を話してもらい、好評を博しています。三分一博志君(世界で活躍する建築家)、阿部伸一君(Google for work日本代表)、井村光明君(博報堂CMプランナー)に続く、今年の演者を選んでいた頃、恩師小泉健司先生が今年度をもって修道を退任されるという話を聞きました。小泉先生は、39回生の担任教諭の中では最もお若く、現在ただ一人現役で修道に勤務されています。先生が最初に担任されたのが私たち39回生ということもあって、今でもたくさんの同期生が先生と交流があり、私たちにはとても縁深い恩師の一人でいらっしゃいます。

 そこで、今年の同期会では小泉先生に修道中・高の教室にて現役最終年の特別授業をお願いすることにしました。先生には年末のご予定をキャンセルして引き受けていただき、近川事務局長さんには教室の使用を快諾いただきました。

 平成26年12月30日15時30分、約50名の同期生が母校本館前に集合しました。休日出勤の上出迎えてくださった事務局長さんに、まずは体育館、人工芝グラウンド、食堂をご案内いただきました。卒業後初めて母校に足を運んだ者も少なくなく、皆30年前とは比べようもない恵まれた環境に驚嘆していました。

 その後小泉先生が待たれる教室に集合、16時10分、山岡良浩君(日本航空)の’Stand up’の号令の下、特別授業の開始となりました。驚いたことに、そこで始まったのは5年生用教材を使っての英語の授業そのものでした。かつては多くが嫌々受けていた授業でしたが、この日は誰一人嫌がる様子もなく、ある者は得意気に、ある者は薄くなった頭部を撫でながら、次々流れてくる難解な英単語にあわせて大きな声で発音し、ヒアリングテストにも本気でチャレンジしました。テストの結果はさんざんでした(私だけではないはず)が、仮に今この授業をしばらく受けることができたなら、必ずや英語力が上達するに違いない、と誰しもが感じたはずです。30年前は居眠ばかりして怒鳴られていた輩も最前列で目を輝かせながら先生の言葉に聞き入っていました。テストに続いて、待ちに待った小泉先生の人生訓が語られました。英語を用いての語りが、前半の授業が導入となったのか、ごく自然に心に沁み入ってきて、なんとも奥深い講釈となりました。ここで、私が最も印象に残った一節をご紹介します。

 ’We spend our life doing little things with great love.’

 小泉先生はこれを「人生は心を込めた暇つぶし」と訳されました。39特別授業.JPGのサムネイル画像

 名残惜しみながら母校を後にし、懇親会会場のホテルセンチュリー21広島に移動しました。18時から、途中参加の数名も加わっての第二部。既に他界された恩師、同期に黙祷を捧げた後、恒例となった菅川洋君(元衆議院議員)の乾杯の発声で開宴となりました。会では例年のように参加者全員が約一分間で現況を報告、それぞれが特徴ある話し方、内容で笑いを誘い、あっという間に時間が過ぎていきました。全員のスピーチが終わったところで、小泉先生に登壇いただき、あらためてお言葉を頂戴しましたが、締めに沢田研二さんのTOKIOを熱唱というオマケつきで、盛り上がりも最高潮に達しました。

 興奮冷めやらぬなか、特別授業への御礼として、当日の出席者全員がメッセージを添えた即席アルバムをお渡ししました。これは、山岡良浩君、村澤昌崇君(広島大学)が、第一部の集合時から第二部にかけて全員の写真をインスタントカメラ(チェキ)で撮影し、各自にメッセージカードを渡して一言書いてもらい、第二部の間に(ほとんど食事もとらず)整理して、一冊に収めてくれたものです。先生にはとても喜んでいただけたと思います。

 その後、全員で肩を組んでの校歌斉唱、万歳三唱と続いて、最後に記念撮影をして、鳴り止まぬ拍手のなかで、中締めとなりました。会場を出たところでは、先生の胴上げが始まっていました。39記念撮影.jpg

先生をお見送りした後、まだまだ話足りない面々が、次の会場に向かい、約40名が0時頃まで一堂に会して久方ぶりの再会を満喫しました。

 今回仕事や家庭の事情で参加できなかった同期生のためにも、また機会を見つけて是非とも母校での集合を企画したいと思います。

平成27年1月13日